釣魚料理 × 『イナダのバルサミコソース』
昨日の釣魚を用いて、簡単フランス料理を作成
マイバースデーを祝った
【イナダのバルサミコソース】
材 料 : イナダ、絹さや、黄ピーマン、赤玉葱
作り方 :
①イナダ : 一口サイズに切り、軽く塩・胡椒を振る。
②赤玉葱 : 下茹でしたものをピクルスにする。
③絹さや、黄ピーマン : 下茹でしたものをオリーブ油、塩に絡める。
④フライパンにオリーブオイルを熱し、タイム、オールスパイスを入れ油に香りをつけた後、イナダをこんがりとソテーする。
⑤バルサミコソース : バルサミコ酢、白ワインを軽く煮詰めて塩で調味する。
※ ワインは白、赤のどちらでもOK。ソースの濃度については、料理の素材などにより、お好みで濃度を調整するとよい。(さっと煮詰める程度~半量になるまで煮詰めるなど。)
⑥皿に魚と添え野菜(②、③)を盛り付け、バルサミコソースをかけて完成
香辛料 : 料理に香辛料を加えることにより、味に変化が生まれ、おいしく感じさせたり食欲を増進させる効果がある。独特の臭みを持つ食材に対しては、臭み消しとして利用される。ひき肉に対するナツメグや、魚に対するショウガなどがその典型的な例である。臭みが感じられなくなるおかげで、素材の旨味が引き立つ。
また、香辛料は、防腐、殺菌作用が強いものが多く、食品の保存性を高める目的で利用されることも多い。このため、胡椒などは大航海時代に食料を長期保存するためのものとしてきわめて珍重された。
ほとんどの香辛料は、植物の実や種子や球根そのものや、それらを乾燥させたもの、乾燥の後に細かくしたり粉にしたものである。たいてい少量で強い効果を持つので、家庭用には10cm程度の大きさの小ビンに入れられて売られていることが多い。
香辛料の味や効能を特徴づける成分には、テルペン類、フェニルプロパノイド、アルカロイドなどがある。多様なアルカロイドのうちには生物活性が強いものが多く、毒物になっているものもある。
英語ではspiceといい、日本でも香辛料を「スパイス」と呼ぶことが多い。香辛料が料理の味に特徴を加えることから転じて、物事にちょっとした特徴を加えて目立つようにしたり気の利いたものにすることを、「スパイスを利かせる」と表現することがある。
香辛料と歴史 : インドにおいては紀元前3000年頃からすでに黒胡椒やクローブ等の多くの香辛料が使われていた。 ヨーロッパの人々の多くは、古くから肉や魚を多く食べていたが、内陸まで食材を運んだり冬期に備えたりするために肉や魚を長期保存する必要性が高かった。クローブや胡椒などには高い殺菌力があるため、食材の保存には欠かせないものとなった。また、腐敗を防止する効能により、その香りが病魔を退治すると信じられており、香として焚いて用いる用途も多かった。さらに、水がそれほど豊富でない地域では、体の洗浄不足と肉食が相まって体臭が問題になり、このことが香辛料の強い香りを求める要因にもなった。
クローブ、ナツメグなど一部の香辛料はインドネシアのモルッカ諸島でのみ産出した。また、胡椒はインド東海岸やスマトラ島で多く生産された。このため、これらの地域と交易を行なって香辛料を手に入れることが、国を保つために大事なこととなった。すなわち、香辛料がヨーロッパの人々を世界進出に駆り立てた。 古代ローマ時代には東洋の香辛料がインド経由でヨーロッパに輸出されている。中世にはムスリム商人がインド洋における香辛料貿易を独占し、ヨーロッパではヴェネツィア共和国がエジプトのマムルーク朝やオスマン帝国からの輸入を独占した。ポルトガルはヴェネツィアの香辛料貿易独占を打破するために喜望峰経由のインド航路を発見し、貿易を独占しようとした。 このように、当初は東側に向けて香辛料を求める進出が続いたが、貿易の主導権の争いは熾烈なものとなっていったため、一部の人たちは西側にも目を向けるようになった。クリストファー・コロンブスもその一人で、1492年にスペインから西に出帆した。結局のところ、彼は香辛料の主産地であるインドやインドネシアには到達できなかったが、アメリカ大陸に到達し、その存在をヨーロッパ人に知らしめた。彼の目的地がインドであったことは、当初アメリカ大陸をインドと勘違いし、そこに住む先住民を「インディオ」と呼んだことに色濃く残っている。この呼称は現在に至るまで残っている。 17世紀に入ると、オランダがアジアに進出してポルトガルと争い、モルッカ諸島やスマトラ島を直接支配下に置いた。近代になると香辛料は各地で栽培されるようになり、貿易における重要性は薄れる。 日本と香辛料 : 古くは古事記中に「はじかみ」(波士加美、波之加美)に関する記述が見られ、これが当時の日本に知られていた香辛料類、すなわちショウガやサンショウを指す総称であった。正倉院には754年に鑑真が持ってきた胡椒が残っているといわれる。
しかし、風土の違いや、発酵食品を積極的に利用したこと、とりわけ肉食をほとんど行わなかったことなどから、ヨーロッパのように香辛料を強く必要とすることはなかった。シナモン(桂皮)、ターメリック(鬱金)など一部のスパイスは漢方薬の方剤として用いられ、薬として認知されるものであった。 こうした薬用の用途からやがて「薬味」や「加薬」(かやく)といった概念が発展した。江戸時代の料理書『素人包丁』には、「鯛飯」の項に「加益(カヤク)はおろし大根、ネギ、のり、とうがらし」と記されており、今でいう「スパイス」に近い存在であったといえる。江戸時代には、大根・葱・紫蘇・芥子・生姜・山葵といった香辛料が特に薬味として好まれ、多用された。そのほか、料理書には山椒、ゆず、肉桂(シナモン)などを使った例がいくつかみられ、日本独自のブレンド香辛料である七味唐辛子も登場したが、これらはいずれも風味付け程度の少量の利用にとどまった。 これら以外の多様な香辛料が日本で多く使われるようになったのは主に第二次世界大戦後である。特にカレー粉はいちはやく家庭に普及したブレンド香辛料であり、またカレーは刺激の強い味覚を一般家庭に普及させる大きな要因になった。社会が経済的に豊かになると、本格的な欧風料理やいわゆるエスニック料理などを広くたのしむようになり、現在では様々な香辛料類が家庭内にも常備されるようになっている。 代表的な香辛料 -単一素材のもの- -ブレンドしたもの- Text by Wikpedia
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